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文部科学省の提示する総合的な学習(探求)の時間について(その3)

カテゴリー塾長ブログ
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会話するイメージ

数回に渡ってブログに書いている「探求」のシリーズは、いままさに学校の教育現場で「根幹」となっている「探究学習」についての説明と私の考えを皆さまにお伝えし、子どもたちの「ミライ」にどう向き合っていったらいいのかを考える材料の1つになったらと思い、定期的に送信しています。

少し間があいてしまいましたので、前回までのおさらいをしますと、「探究」が、いままさに国の教育施策で中心とされている重要な取り組みであること、そして「探究ができる」ことは、「考えることができる」ことと同じをいう私の解釈をお伝えしました。

つまり、簡単に言いますと「今の子どもは考えることができないから、考えることができるようにしないといけない。」ということが今の「教育」の目標になっているということです。

ここで、2つの疑問がわきます。

  1.  なぜ、今のこどもは考えることができないのか?
  2.  なぜ、「考えること」が必要なのか?

まず、順序は逆ですが、②の「なぜ、考えることが必要なのか?」について、私の経験をお伝えします。

これは、私が前の職場である部署の管理職をしていた時の一場面です。その年に実施する「イベント」の内容をある職員(20代)が企画書を作って、起案した文書を決裁(可否の判断)をするシーンです。


  私  「このイベントは昨年も実施しましたか?」
  職員 「はい、実施しました。」
  私  「結果はどうでしたか?その時の担当は誰ですか?」
  職員 「はい、無事に終わりました。担当したのは私です。」
  私  「無事?昨年のイベントの結果、何がわかって、今年はそれを踏まえてどうする計画ですか?」
  職員 「???内容は昨年と同じです。たくさん人が来ました。」
  私  「???では、聞き方を変えますが、このイベントの何が「目的」で、いつまでその目的を達成する予定ですか?」
  職員 「〇〇を来場者に知ってもらうためで、一昨年も実施しました。予算は3年間ついてますので、今年が最後です。」  
  私  「では、〇〇を知ってもらったかどうかはどうやってわかるのですか?」
  職員 「人がたくさん来て賑わいましたので。」


皆さんは、この会話をどう思われますか?この会話の問題点はなんでしょうか?
この内容についてはさておき、この職員が、子どもではないですが、「考えていない」ことはお分かりだと思います。何も考えがえず、ただただ前と同じことを繰り返すことしかしていません。

このようなことが、いま現実に、ありとあらゆるところで発生しているとすれば、「考えること」が必要で、国が「考えること=探究すること」を教育の根幹にしていることの理由がわかっていただけると思います。

では、疑問の①「なぜ、今のこどもは考えることができなのか?」
前回同様、皆さんのご批判を覚悟で、私の考えをお伝えします。
それは、インターネット社会で、何でも「ググれば(死語でしょうか?」答えが出るからだと私は思っています。

つまり、生まれた時にすでに「考えなくても答えらしきことがすぐわかる。」社会になっていた今の若い世代は、「考える習慣」が全くつかず、すべて「検索」と「コピペ」で過ごすことが染みついていると言ったら言い過ぎでしょうか?
 
 次回はなるべく間隔を開けずにお届けします。いつでも「異論、反論、Objection!」(懐かしい!)を、お待ちしております。  

「探求」についてのシリーズはこちら↓
【第1回】
https://studypower-yagita.com/jukutyo/1241/

【第2回】
https://studypower-yagita.com/jukutyo/1271/